◆脱原発への“関ヶ原” ~~原発の電気は買わない

槌田 劭(使い捨て時代を考える会)
(ロシナンテ社 月刊むすぶ 559号 2017.8「わたしたちは原発なしでくらせます」)

■■原子力の時代は終末に近付いている■■

◆福島原発事故によって,「安全神話」は崩れた。大熊町の商店街に掲げられていた「原子力 明るい未来の エネルギー」の大看板はいつの間にか消えている。世論の多数は脱原発である。

◆そのような中で,関電は高浜原発の再稼働を強行した。大飯原発だけでなく,40年超の老朽原発も稼働を予定しているという。電力の安定供給のためには,電源構成のべストミックスとして,原発をべース電力と位置付け,今も「安定供給神話」に依拠している。原発ゼロでも電力不足はなく,発電能力に余裕のあることは周知の事実である。それどころか原発は事故のたびに,それも海外の原発重大事故でも停止する不安定さであった。

◆その愚劣に加えて,原発再稼働によって,電気代を値下げするという。原発の電気の「安価神話」にすがりついている。原発3神話は,事実と現実によって破綻しているにもかかわらず,関電は原発維持推進に執心である。高浜原発につづいて,大飯原発,そして40年超の老朽原発も稼働させようというのである。原発路線への執者は「安全第一に」と枕詞が付いているが,安全神話に自信があるわけでもない。原発再稼働以外に出口を見付けられない経営陣の無能力の結果である。原発再稼働に希望があるわけでもないが,政界・財界・学界が原子力マフィアを形成して,その金縛りの輪から抜ける勇気も知恵もないからである。

◆原子力産業の苦境は厳しい。福島事故後,安全性への厳しい社会的圧力を受け,その結果に巨額の出費が強いられている。東芝がこけたのは,アメリカでの子会社WHの原発受注の行き詰まりによるといわれる。原発新規の建設は極めて難しくなっている。原発に未来のないことが明らかになってきたということである。

■■電力自由化と消費者の主体的権利■■

◆このような脱原発の流れに決定的影響があるのが,電力自由化によって消費者が原発の電気を買うことをやめ,非原発新電力ヘ移行することができるようになったことである。消費者である市民が,電力を押し付けられていた状況から,自主的主体的に選択可能な権利を持ったのである。この自由化には新自由主義的な流れに対しての警戒の必要なことは言うまでもない。大独占体制下では,大が小を呑み込んで,理不尽を強制しがちだからである。電力業界は,地域独占が支配し,販売電力量に大きな格差があるだけでなく,技術力だけでなく,送電,配電も大電力が支配している。社会的公正さが担保されなければ何が起きるのだろうか。すでに,政府は原発を守るために,託送料,つまり,送配電のために大電力会社の保有する送電網の利用料を弱小新電力に課そうとしている。発電と送配電の完全分離への社会運動の必要性に注目しておく必要がある。

◆そのような新自由主義の理不尽に対する準備が十分とはいえない現状ではあるが,非原発新電力への契約変更,「原発の電気は買わない」の運動は,脱原発への直接的効果を有する段階に入った。原発のトップランナーである関電の経営状況に直接的に影響し,原発推進路線に打撃を与えることができるからである。

◆反原発・脱原発の運動は,道義的倫理的性格が強かった。私も原発の技術的不安・放射能の危険を科学的技術的に指摘するところから始めたのほ40年前のことになる。しかし,科学技術論争の不毛は聞く耳持たぬ連中相手の虚しさであった。そこで,社会の在り方,その社会での生き方へ重心をシフトさせた。都市で大電力を消費する社会が過疎地に原発を押し付ける理不尽を見つめ,節電への生活変革と,反原発運動をつなぐ道であり,現生世代が消えぬ放射性毒物をツケ回しする理不尽を見つめる倫理性を重視するようになった。原発事故の危険性も重大だが,大量の電気を消費して恥じぬ現状への反省を欠けば利己的であり,自己中ではないのか,ということでもあった。しかし,このような道義的論理的立場は,今も極めて大事なのであるが,原発推進派にとっては,蛙の面に何とか,である。かれらにとっては,「金だけ 今だけ 自分だけ」だからである。道義・倫理だけではすれ違ってしまうのである。

■■電力会社の経営に直結する電気料金■■

◆それに対して,「原発の電気は買わない」という運動は,金銭的に関電の経営を直撃することになるので,関電にとっても無視できない。そのことを直接実感したのは,値上げ問題で,公聴会が行われた一昨年の春のことである。福島事故後に,原発が停止となって,関電は大赤字に転落したが,その対応として,4年前に大幅値上げを行った。それでも赤字は解消せず,再度の大幅値上げを試みたのが,一昨年のことである。私は,原発依存の企業体質をそのままに,値上げは理不尽だという趣旨で公述人として応募した。そのとき,関電の経営事情を調べて驚いた。

◆放漫経営そのものなのである。原発が電気を生産していても,していなくても,原発発電費として約3000億円を固定的に支出している! 日本原電からは電気を全く購入していないのに,毎年300億円を電気代として支払っている! 他にも原発関連の無駄な出費がある上に,事故対応の準備や廃炉廃燃料の後始末への準備積立は軽視されている。こんな経営状態のままで値上げを認めろというのだろうか。その公聴会の内 容は厳しく,全公述人が反対。出席の八木社長以下,関電側の説明の窮する場面が続出,主催の経産省を困惑させた。そして,その結果は申請値上げを減額した上,反対世論の緩和のため,異例のことだが,二段階の分割値上げの経産省認可となった。関電の電気代は,この結果,極めて高いものとなり,理不尽な消費者負担を強いることになった。福島事故後の関電の決算を見てみると,福島事故の衝撃の大きさが分かる(第1表)。福島事故(2011・3・11)までの大黒字2251億円が,翌12年3月決算では,2766億円の大赤字に転落し,2013年の電気料金値上げも2013年度,2014年度の赤字を防げなかった。前述2015年度の値上げによって,やっと黒字回復に成功ということになるが,その結果,高い電気代が後述する価格による自由化競争で厳しい打撃となる。問題は原発路線維持に伴う過大な重荷にあるからである。2016年3月(2015年度)決算と2017年3月(2016年度)決算を比較すると,売上高(営業収益)を大きく落とし(2539億円減),営業利益も441億円減少している。黒字になったのは,燃料輸入価格の下落や円高により,火力の燃料費が1850億円も少なくて済んだからなのである。そのような好条件がなければ,赤字となる綱渡り状態であった。実態は黒字というよりも赤字なのである。

◆関電の経営の構造的危機は,原発維持推進路線にある。原発を維持するだけで巨額の固定支出が,重い足カセとなっているからである。原発再稼働が脱原発への世論の抵抗で思うように進まぬ現実は関電の経営にとって,深刻な危機である。

■■関電の顧客離れを脱原発の声で■■

◆電力自由化によって,顧客争奪競争も激しくなっている。それでなくても,省エネと節電で電力需要そのものが減少している。縮小するマーケットで割高の電気が売れないのは当然であり,関電の販売電力量は激減である。

◆関電の販売電力量のピークは福島原発事故(2011・3・11)直前の2010年度の1511億kW時であったが,6年後の2016年度には,1215億kW時まで落ち込んでしまった。実に20%減である(第2表)。電力業界における地位も第2位から,第3位に転落(中部電力の2016年度は1218億kW時)と,苦境を象徴している。

◆この苦境を顧客離れが増大している。昨年3月の電力自由化以降の推移は著しい(第1図)。7月末現在で,96.7万件の新電力への契約変更が見られる。8月末には100万件を超えることになるだろう。関電管内の1250万世帯の実に8%である。この流れが続けば,10%を超えるときも年内のことだろうか。販売力が10%も下落すれば,一般的に言って,企業経営は危機どころではない。

◆この顧客離れは,料金の高さにあることはもちろんであるが,それだけが原因かどうか。脱原発の世論と思うのは我田引水なのだろうか。高浜原発再稼働の動きの強まった2月以降,契約変更のスピードが増している。昨年中は月平均4.2万件であったものが,2月以降は6.6万件と増えている。


【注(1)】2017年に入って,顧客離れが加速しているのは,高浜原発再稼働の影響か。
【注(2)】2017年7月末…96.7万件,8月末…102.8万件,9月末…108.9万件←8月の関電の値下げの効果はない。年内に関電管内の1250万世帯の10%に達する可能性がある。

◆ちなみに,私たち(使い捨て時代を考える会)は関電京都支店前で,福島事故の翌月から,毎月11日に,福島事故を忘れぬための街頭宣伝行動を6年余り続けている。そしてほぼ毎月,脱原発のために関電京都支店と交渉を重ねている。その中で,高浜の再稼働はしないように強く要望するとともに,「もし再稼働するなら,そのときに契約を新電力に移す」意志のある者の署名を背景に要望書を昨年10月4日に関電京都支店に提出した。この動きに賛同する動きは,京都の脱原発運動の輪の中に広がっていった。そして,大阪高裁が高浜原発の再稼働を認め,大津地裁の停止仮処分破棄を決定した3月28日以降,私たちの仲間の中でも契約変更が強まった。電気代が安くなろうが,高くなろうが,原発の電気は嫌だというわけである。関電社長宛の署名運動「原子力発電は止めて下さい。原発でつくった電気は,使いたくありません」を京都の動きから,全関西に拡大しつつある。「原発の電気はいらない署名@関西」として,さらに広げていきたい。この動きは原発推進の経営方針を直撃する内容を持つだけに,実質的に脱原発への圧力となるに違いない。

■■経営危機と,原発事故の危険■■

◆関電は,顧客離れにうろたえ始めている。料金値下げを夏明けには実行するだろうが,3~4%の小幅の値下げでは顧客の引き留めも難しい。大阪ガスとの価格競争は体力の落ちた関電にとって厳しい上に,その値下げも売り上げ減にも直結するから,進退窮まっていくに違いない。進退窮まったとき,原発維持依存の経営方針の転換にも目を向けることになるだろう。

◆経営状態の現実が厳しくなれば,徹底した経営の効率化,経費削減・合理化への内圧が高まるものである。従来,総括原価方式によって,下請けや関連企業に甘い支払いが可能であった上,過大経費を必要経費と認める経産省の原発推進政策で過大利益となる料金体系であった。この馴れ合いは,消費者に高料金を押し付け,還流する暴利は原子力マフィアの養育費用となって政官財,そしてマスコミと学界を堕落させてきた。自由化によって,その余裕もなくなった。原発推進の大電力,とりわけ,そのトップランナーの関電が直面しているのは,厳しい試練どころではない。

◆厳しい試練に直面して,関電の社内にも波紋が静かに広がっている。経費削減の深掘りは,手抜き作業と労働強化に結び付き,原発重視の経営路線への不満を呼ぶに違いないからである。現在のところは,強烈な原発推進だから,不満の声は表面化していないが,仄聞するところでは空気の変化はきざし始めているという。しかし,楽観はできない。肥大している原子力ムラ,いや,マフィアに支配される安倍政治が崩れぬ限り,路線転換は容易ではない。前の太平洋戦争でも,敗色明白となっても,敗戦を受け入れぬ勢力は「本土決戦・一億総玉砕」に局面の打開を求めようとした。

◆原発推進の流れも最終局面に入ったが,推進派も真剣である。高浜3・4,大飯3・4だけでなく,40年超の老朽原発の再稼働も準備している。関電が強気だからではない。経営的に出口はそれしかなく,追い詰められているからである。燃料代のかかる火力発電を稼働コストの少ない原発に置き換えることで,当面の出費を減らしたいのだが,その限界費用差を大きく6円/kW時と見込んだとしても,大飯3・4号の稼働で年間200億kW時の発電では,原発の固定支出3000億円の現実は重過ぎる。“金だけ,今だけ”の無責任経営で,大飯3・4号を稼働させただけでは全く不足である。40年超の原発を稼働させることに,局面の打開を求める以外にないのだろうが,極めて危険なことである。

◆危険といえば,具体的に現実化している。高浜原発で工事用クレーンが強風で倒伏した。再稼働申請業務の課長が過労死した。これらのことは,経費削減と労働強化の故であり,氷山の一角である。手抜きや不注意が大事故の前提であることを思えば,再稼働に前のめりな原発は危険そのものである。

■■“原発の電気は買わない”■■

◆蛙の面に何とか,であってもなお,脱原発へ向けて,放射能と事故の危険,未来世代への負の遺産,その道理と倫理の声をさらに高めねばならない。多年に渡る私たちの運動がボディブローのように原発推進路線の体力を奪ってきたのであり,その結果が現在の“脱原発の関ヶ原”を用意したのである。“金だけ 今だけ 自分だけ”の経営路線に,“お金の苦労”を強いることが今,現実の課題となっている。毎週金曜日のタ刻5時から7時,京都駅前の関電京都支店前に,毎週100人ほどの人々が集まり,脱原発のスタンディング・オペレーションが続けられている。マイクは再稼働の中止を要求し,「原発の電気は買わない」と呼びかけている。

◆東京電力の電気は首都圏の消費向けであった。その電気を使っていなかった福島の方々が被災によって,今も苦しんでいる。電力購入の選択が自由化された今,なお原発の電気を買い続けるのか,都市の消費者はその責任を問われている。
(つちだ・たかし)

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